あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、 彼らはあわれみを受けるであろう。
もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
耳を閉じて貧しい者の呼ぶ声を聞かない者は、 自分が呼ぶときに、聞かれない。
人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
あなたはいつくしみある者には、 いつくしみある者となり、 欠けたところのない者には、 欠けたところのない者となり、
だれかあなたのように不義をゆるし、 その嗣業の残れる者のために とがを見過ごされる神があろうか。 神はいつくしみを喜ばれるので、 その怒りをながく保たず、
いつくしみと、まこととは共に会い、 義と平和とは互に口づけし、
誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶと、主は言われる」。
アドニベゼクは言った、「かつて七十人の王たちが手足の親指を切られて、わたしの食卓の下で、くずを拾ったことがあったが、神はわたしがしたように、わたしに報いられたのだ」。人々は彼をエルサレムへ連れて行ったが、彼はそこで死んだ。
あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。
彼らは互に言った、「確かにわれわれは弟の事で罪がある。彼がしきりに願った時、その心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでこの苦しみに会うのだ」。
見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している。
アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
その枝が枯れると、折り取られ、 女が来てそれを燃やす。 これは無知の民だからである。 それゆえ、彼らを造られた主は 彼らをあわれまれない。 彼らを形造られた主は、彼らを恵まれない。
いまわたしに聞き、あなたがたがその兄弟のうちから捕えて来た捕虜を放ち帰らせなさい。主の激しい怒りがあなたがたの上に臨んでいるからです」。
貧しい者をしえたげて自分の富を増そうとする者と、 富める者に与える者とは、ついに必ず貧しくなる。
しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。
シセラはヤエルの足もとにかがんで倒れ伏し、 その足もとにかがんで倒れ、 そのかがんだ所に倒れて死んだ。